2025年7月、たつき諒(竜樹諒)先生の「私の見た未来」が予言だと世間を賑わせていますね。
作者である漫画家のたつき諒先生はもう引退されていますが、顔が気になるという人は多いようです。

どんな方なのか、気になりますよね!
今回はたつき諒先生の顔写真やプロフィールなどについて調べてみました。
たつき諒(竜樹諒)先生の予言は漫画本の表紙!
2025年7月5日の予言が日夜世間を賑わせていますね。
予言の発端となったのは、1999年に発刊された「私の見た未来」という漫画家のたつき諒先生の総集本の表紙です。


「私の見た未来」の表紙に書かれた「大災害は2011年3月」が、
と一躍有名になりました。



これは驚きですね!
たつき諒先生はどんな漫画家なのか調べてみました。
たつき諒(竜樹諒)の顔写真は20代の時のものだけ!
唯一出回っているものはこちらです。


これは1983年に発刊された単行本「宝石物語」の表紙折り返し部分に掲載されています。
たつき諒先生は1954年生まれなので、28.29歳頃の写真と思われます。



アメリカへ旅行中なのかな?
他には公式で公開された画像はありませんでした。
たつき諒(竜樹諒)のプロフィール
たつき諒先生のプロフィールはこちらです。
PN:たつき諒
生年月日:1954年12月2日(2025年6月現在70歳)
出身地:神奈川県
血液型:O型
職業:少女漫画家(1999年44歳で引退)
趣味:旅行
交通事故で漫画家を目指す
「私の見た未来 完全版」によると、たつき諒先生は高校生の頃に大きな事故に合い足を悪くしています。
家でできて、生きた証を残せ、顔を出さずに済む仕事
として選んだのは漫画家でした。
美内すずえ先生などのアシスタントをこなしながら、出版社へと原稿を持ち込んでいたようです。
1975年(当時20歳)で見事『月間プリンセス』でデビューを果たしています。



有言実行!すごいです!
ネタ切れで引退
たつき諒先生は1989年頃から『月間パンドラ』でホラー作品を描くようになります。
作品のネタはたつき諒先生の実体験ではなく、
看護師の義姉を始めとした周囲の人たちの体験談
1985年から書き溜めていた夢日記
を主に描いていたようです。
その後ネタがつきたことで漫画家の引退を決意したといいます。
話題になっている「私の見た未来」は最後に発刊した総集本で、同年の1999年(当時44歳)にたつき諒先生は引退しています。



若い引退ですね
たつき諒(竜樹諒)の似顔絵
2025年現在70歳になるたつき諒先生ですが、現在の顔写真はありません。
たつき諒先生は漫画家なので、似顔絵をよく書かれているのでご紹介します。
私の見る未来での似顔絵
こちらは2022年に発刊した「私の見た未来 完全版」内でのたつき諒先生の似顔絵です。


髪が長く、メガネをかけておられるようですね。



作画中だからメガネなのかもしれません
色紙の似顔絵
こちらは2022年に「私の見た未来 完全版」を発刊した後のサイン色紙の似顔絵です。




BOOKCAMPASSエキュート上野店
紀伊国屋書店梅田本店
このように、それぞれ東西の書店に訪れた際にサイン色紙が飾ってありました。
サイン色紙はこのイラストと決めているのかもしれませんね。
まだコロナ化だったので外出マスクをしているようですが、普段からメガネをかけていることがわかります。



ちょっと髪が短くなったようにも見えます
まとめ
たつき諒先生の顔写真について話題にいたので調べてみました。
たつき諒先生はあまり露出や顔写真を公開しておらず、唯一公表しているのは1983年の28歳頃のものでした。
似顔絵によると普段からメガネをかけていて、髪はミディアムからロングくらいのようです。
最後までありがとうございました。

